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住職のことば

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2017年も早5日!

2017年も早5日!

2017.01.05

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謹賀新年

除夜の鐘、修正会と慌ただしい年末年始が過ぎ、気づいてみたらもう5日です。

本年6月28日で住職に就任して丸10年になります。

教員生活を辞めた新米住職が、「寺を仏法聴聞の場にしたい」「自信教人信の誠を尽くそう」と努めた10年でした。大勢の方々から様々なことを教えていただきました。

副住職である候補衆徒(次に住職となる僧侶)は、現在大谷大学博士課程に在籍しています。人生の師である水島見一先生(大谷大学教授)を自坊にお招きしたいということで、当HP「お知らせ」にあるように水島先生のご法話を聴聞させていただくことになりました。この聞法会は、今回だけではなく年3回程度行っていきたいという計画もあります。

新たな10年に向けてスタートする本年、この聞法会を契機として、いよいよ仏法聴聞の道を歩む所存です。

親鸞聖人の「この法をば信ずる衆生もあり、そしる衆生もあるべしと、仏ときおかせたまいたることなれば、われはすでに信じたてまつる。またひとありてそしるにて、仏説まことなりけりとしられそうろう。」(『歎異抄』12条)との仰せを励みに、(できるだけ)坊守と同じ方向を向き当寺を運営していきます。

 

当HP「今月のことば」を選んだ時に、蓮如上人の「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし。」というお言葉が思い出されました。『蓮如上人御一代記聞書』1条にあります。

道徳は、山城国山科勧修寺村西念寺の開基です。明応2年(1493年)元旦に山科本願寺の蓮如上人の御前に、道徳が訪れた際のことです。まずご本尊に合掌し念仏申し次ぎに新年の挨拶を申した道徳に、蓮如上人がいきなり「道徳はいくつになるぞ。道徳、念仏もうさるべし。」と仰せられたのです。

『真宗再興の人 蓮如上人の生涯と教え』という書物には、次のように解説してあります。

 

明応二年一月一日、蓮如上人七十九歳の折の仰せであります。念仏しなさい。人生はそこから始まるのです。なぜなら、それまでの人生は真実の人生とはいえないからです、とおっしゃいます。
一日のはじまり、一日のたしなみ
一年のはじまり、一年の計
など、いろいろに言いますが、すべては、「信心を決定してのち世をすごすべきこと肝要なり」とあるように、まず人間が人間としての生を獲得するという一大事の成就があってこそ始まるのです。
釈尊は三十五歳にして仏陀として誕生され、親鸞聖人は二十九歳にして仏子として生まれ出られました。この人間の誕生をみつめる時、さて貴方は本当は幾つになったのですかと尋ねられているのです。歳暮の挨拶を無益のこととたしなめた蓮如上人は、真実の御礼は念仏を申す信心を得ることの外にはないのだと言って、四十余年間、このこと一つをくり返して惓むことがありませんでした。雜行をすてて本願に帰するという当流の一大事をここにも重ねて勧めておられるのであります。

 

蓮如上人のお気持ちに添う事無しに、世間通例の年末年始の挨拶を何度したことでしょう・・・。

蓮如上人は、先の厳しいお言葉に続けて道徳に「自力の念仏というは、念仏おおくもうして仏にまいらせ、このもうしたる功徳にて、仏のたすけたまわんずるようにおもうて、となうるなり。他力というは、弥陀をたのむ一念のおこるとき、やがて御たすけにあずかるなり。そののち念仏もうすは、御たすけありたるありがたさありがたさと、おもうこころをよろこびて、南無阿弥陀仏に自力をくわえざるこころなり。されば、他力とは、他の力というこころなり。この一念、臨終までとおりて往生するなりと、おおせそうろうなり」(『蓮如上人御一代記聞書』1条)と、他力の念仏を丁寧に説いておられます。

10年も住職をしていると、口先だけの念仏は身につきました。「今年で何歳になるのか」。「いそぎて信心決定して、今度の往生極楽を一定して、そののち、人間のありさまにまかせて世をすごすべきこと肝要なり」(『御文』第四帖13)と、蓮如上人のお言葉が聞こえてきます。

 

 

 

 

 

 

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