図解 本堂格天井雲竜図
本堂格天井雲龍図81枚は、川名楽山らの絵師により描かれました。楽山は天保3(1832)年に安房国沼村(館山市沼)に生まれ、江戸で狩野派の絵師に学び幕府絵画方として日光東照宮の修繕にあたったこともあります。嘉永4(1851)年に館山に帰郷すると館山藩に画学教授として仕え、明治5(1872)年には安房神社の神官となる一方絵師として活躍し、内房地区の寺社の欄間や天井に「飛天図」や「龍図」が多くあります。
勝善寺は、明治2(1868)年に火災に遭い本堂が消失し、明治13(1880)年に再建されています。その後明治19(1886)年この雲龍図は完成しました。
雲龍図一枚一枚に書かれている名前は寄進者と思われます。
この雲龍図を撮影された石井和夫氏(二部出身、現在は横浜在住)は、法事の時などに「あなたの家のご先祖の名前がありますよ。」と紹介したら喜んでもらえるでしょうと、写真を整理し寄贈してくださいました。
一枚一枚を拡大して見ることができますので、寄進者もわかります。