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住職のことば

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追善供養ではなく、 聞法供養。 これが真宗仏事の 精神です。

追善供養ではなく、 聞法供養。 これが真宗仏事の 精神です。

2019.08.05

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これは、池田勇諦先生のお言葉です。

先生には、「教行信証に学ぶ」という東京練馬の真宗会館で行われた研修会で2007年から2014年にかけてご教授をいただきました。
2007年は、ちょうど私が教員を退職した年でした。僧侶の資格はすでに取得していたものの真宗の教えに疎くこれをハッキリさせたい思いがあり、周りにはさぞ迷惑をかけていたことでしょうが、合計27回すべてに参加することができました。
もちろん先生のご化導があったからこそですが、共に聴聞した仲間にも支えられました。今もそのご縁が、私の聞法生活の原動力になっています。
聞法供養が、真宗の仏事の精神だと。
「聞法供養」、これは聞き慣れない言葉ですね。
「追善供養」は、死者のためにお経をあげたりお供物をあげたりすることで死者の幸せ祈ることですよね。しかし、それはよく考えれば解ることですが、自分が満足しているだけに過ぎません。
日頃、年回法要をお勤めしていると、この追善供養が仏教だと思って過ごしている人が実に多いと感じさせられます。
先生は、追善供養は「仏事では無い。仏教の皮をかぶった習俗だ」と仰います。
この言葉に私は、今まで漠然と感じていたご門徒と私の間にある感覚のズレの原因に、ハッと気が付きました。
では「聞法供養」は、どのような仏事なのか?
亡き人を縁として、私達が聞法する仏事です。
儀式によりつくられる非日常的な雰囲気の中で、各々が亡き人の人生に向き合い、無量のご縁に生かされてある自己であったと驚く。自己を支えていたその大地に気づいたら、ご縁となった亡き人に感謝しないわけがありませんよね。
先生は、「聞法供養によってのみ、亡き人と私が共にすくわれる」と仰います。
ここが真宗仏事の魅力です。
勝善寺が執行する仏事は、すべて聞法供養です。

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