笹子三喜男氏から、山本正年氏作の文机が寄贈される。
笹子三喜男氏から、山本正年氏作の文机が寄贈される。
2024.11.20
小学生の頃に先生から「郷土で活躍する世界的な陶芸家 」と、山本正年氏のことを教わりました。
その氏の作品「文机(ふづくえ)」が、縁あって株式会社笹子工務店・木工所代表取締役笹子三喜男氏から、当寺に寄贈されました。
「郷土美術品のタスキを繋ぐ」思いで笹子氏は奥様と共に訪れ、大きな木箱から文机を慎重に取り出し、住職・坊守・副住職(次期住職)と共に、御簾(みす)の間(ま)にある床の間に安置しました。
その後ご夫妻は、山本家墓地に向かい感慨深げに礼拝されていました。
2021年12月29日の午後の出来事でした。
不可思議なご縁を共々にいただいた一時でした。
ご覧になりたい方は、あらかじめご連絡ください。
※東京文化財研究所「山本正年」URL: https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9990.html
なお、下記は文机の由来です。
陶器文机(ふづくえ)について
笹子三喜男
この机は、鈴木桂梅という千葉県美術会理事として活躍していた館山の書道家が、昭和39年(1964)頃に、日展審査員などで活躍していた岩井の陶芸家山本正年に依頼して作らせたものです。
桂梅氏は平成中期に亡くられたので、その後平成20年(2008)に遺族が、近所のお寺に寄贈しましたが、住職は、ほとんど山本正年という芸術家について知らなかった事と、桂海氏の菩提寺でもなかったので、館山で木工所を経営する私に相談して来ました。私は陶芸家でもあり、郷土歴史研究家でもあったので、山本正年氏も鈴木桂梅氏の事もよく知っていたので、文机は私に譲られることとなりました。
当時の文机は、墨で真っ黒で、桂梅氏が長年使用して来た事をうかがわせる物でありました。洗浄を行い、梵字が全面にほどこされている事には驚きました。
陶器でこれだけ大きな物を、歪みや割れなく作る事は、大変な技術を要する事もさることながら、平らでなければいけない表面に、デコボロにならない程度に、1回目に全体に経典らしきものを型紙を切り抜いて得意の伊羅保軸を吹きつけ、2回目に宝珠を、3回目にもう一度ずらして宝珠を、4回目にとがった宝珠を、5回目に中央梵字を吹きつけ焼き付けを行っています。この技術には陶芸家の私も脱帽する作品で、山本正年の代表作の一つであると思われます。
中央に大きく描かれている梵字は、タラークと読み=虚空菩薩 宝生如来 軍茶利明王 を表し、寅年の人のお守りで、限りない智恵と慈悲の心で全ての知恵と幸福を授かり記憶力の向上厄除け疾病回復に御利益があるとされています。残念ながら桂海氏の詳しいデーターが無いので寅年生まれかはわかりません。
追伸
私が館山美術会事務局長を務めた頃であったので、同じ館山美術会員の山本正年の弟子であった里見窯石井豊氏にも、この作品の話を伺いました。
山本正年氏が「偉い書道の先生に頼まれた」と言って、文机を作るのを20代後半の独身の頃に手伝ったとの事でした。
今から50年も前の作品である事が判りました。まだ岩井の高崎で製作していた頃の作品で、窯一杯の大きさだったそうです。その後岩井駅の近くに移っています。
この作品の話をしていた時に、丁度正年氏の娘陶子さん(73歳)が訪れ、この話を聞いて大変喜ばれていました。豊氏が弟子になった時には、陶子さんは小学校3年生だったそうです。その頃、岩井トンネルの看板なども依頼され、大きくて学校体育館を借りて製作した話しなども伺いました。食べ物がなく、豊氏が近所に貰いに行った辛い時代であったとも語っておられた事が印象的でした。
平成23年(2011)11月に館山美術会90周年記念としてこの文机を展示しています。
令和3年(2021)12月「郷土美術品のタスキを繋ぐ」としてこの作品を引き受ける方を探していて、富山の勝善寺井上住職に出会いました。郷土の宝を引き継げる方に出会えて感謝申し上げます。どうぞ末永く大切にして頂ければ幸いです。
令和3年12月27日 海山坊窯 笹子三喜男