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住職のことば

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無明煩悩われらが身にみちみちて

無明煩悩われらが身にみちみちて

2022.08.07

残暑お見舞い申しあげます。

みな様、いかがお過ごしでしょうか。
実は私、4月12日から5月21日まで40日間、人間ドックで発見された膵臓癌を取り除く手術のため入院しておりました。ご迷惑やご不便をおかけしました。まだ完全に体力が回復したとはいえませんが、法務は今まで通りお勤めできるようになりました。
入院中の寺は、坊守や副住職、所属僧侶の鈴木正一郎師、そして役員やご門徒方などのご尽力で助けられました。感謝の念でいっぱいです。おかげで治療に専念することができ、比較的暢気(のんき)に入院生活を過していました。
ところが退院し日常生活が戻ってまいりますと、自分にあるいは周囲にいろいろ注文が出てくるのです。早く退院したいとあんなに望んでいたのに、イライラが募る毎日であります。身体は無理があると熱を出しますし、思いどおりにならないことばかりです。
標題は、親鸞聖人の著作『一念多念文意』にある言葉です。
「無明」は、成るべくして成っている事実が見えない心の闇(やみ)、すべての煩悩の源です。これが身に充ち満ちている。だから「欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず。」と、この後に続きます。
「その通りだな」と念仏申す時、私はいつも安堵感と嬉しさで心が満たされます。「宗祖もそうだったのだ」と元気が湧いてくるのです。
親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、念仏し人に勧める理由は、ここにあります。

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