堪え忍ぶことによって、怨みは息(や)む。これは永遠の真理である。
堪え忍ぶことによって、怨みは息(や)む。これは永遠の真理である。
2023.10.30
標題は、「実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息むことがない。」に続く言葉です。『ブッダの真理のことば感興のことば』岩波文庫203ページ、「感興のことば(ウダーナヴァルガ)」第14章憎しみ11)にあります。
毎日報道される中東情勢に、聞こえてききした。
しかし、残念ながら現実は逆。なんとも痛ましく愚かで悲しい事態であります。一刻も早い終息を願います。
「さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべし」。
これは親鸞聖人の言葉です。条件次第でどんなことでもしてしまう人間の愚かさ恐ろしさを言い当てた真理です。今、地球上に暮らす80億4500万人の一人ひとりが、この存在だと仏教は説きます。その人間が、仲間をつくり国をつくり互いが正義を主張し合い、時には妥協し時には争い、怨みが怨みを生んでいる。
「堪え忍ぶ」ことは、仏道修行の一つ。しかし、はたしてそれが人間にできるのか。その努力が修行と言われるが、今までそれを完成したのは、おシャカさま(ブッダ)ただ一人。
親鸞聖人は、念仏が人間を完成させる仏道、他とはまったく異質の仏道を歩まれました。それが浄土真宗です。それは、自分の正義に固執したり「堪え忍ぶ」人間に成るものではありません。念仏が、自分の愚かさ恐ろしさを気づかせ、そこに立つ確固として柔軟な歩みです。
親鸞聖人は、中東情勢を憂慮する私に、「念仏申すことは、この信心をいただいた御恩報謝と心に刻み、世のなか安穏なれ、仏法ひろまれと、お思いください。」と語りかけてくれました。