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住職のことば

住職のことば

「わかっているつもり」が、実は迷っているということなのです。

「わかっているつもり」が、実は迷っているということなのです。

2025.03.10

 

標題の言葉は、今年の『法語カレンダー』表紙にある「宗教は 生死を貫く まこと一つの教え」についての随想を、真宗大谷派僧侶黒田浩明師が『今日のことば』で述べておられまが、その文中にありました。
この言葉が目に止まり、植木等氏が歌って大ヒットした「スーダラ節」がフッと頭に浮かんだのでした。それは六十年以上前、私が小学生の頃のことでした。ご存じない方は、スマホで検索してください。

チョイト一杯のつもりで飲んで
いつの間にやらハシゴ酒
気がつきゃホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体にいいわきゃないよ
分かっちゃいるけどやめられねぇ

ア ホレ スイスイ スーダララッタ スラスラ スイスイスイ

スイスイ スーダララッタスラスラ スイスイスイ

それは、高度経済成長期、社会が豊かな未来に向っている実感のある活気溢れる時代でした。長時間労働など当たり前、仕事第一の「猛烈社員」が闊歩してました。
植木等氏は、真宗大谷派の僧侶を父として育ち、将来は僧侶になるよう期待されていたようです。ですからクレージーキャッツのメンバーとして青島幸男氏が作ったこの歌詞を歌うことになった時、さすがに悩んだそうです。
そこで父親に相談したところ、なんと「『わかっちゃいるけどやめられねぇ』は、親鸞聖人の教えに通じる」と押し出されたというから驚きます。
もし今、著名人が何かしでかして、「分かっちゃいるけどやめられねぇ」などと言ったら大騒ぎ、ネット上で大炎上間違いなしですよね。
今は、みんなが正義を掲げた善人の顔をして威張っている。そして、なんでも「わかっているつもり」で自分は棚に上げ、他人を厳しく批判する。
それが「実は迷っているということなのです。」
住職も副住職も、このことを伝えようとお話ししています。
仏教を聴聞しましょう。
私は、善人のふり(●●)をして生きていたから窮屈でした。

南無阿弥陀仏

 

 

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