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住職のことば

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怨みをすててこそやむ

怨みをすててこそやむ

2015.03.10

【法語】

 

怨(うら)みに報(むく)いるに怨(うら)みを以(もっ)てしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息(や)む。

『ダンマパダ』(『法句経』)

 

一月から二月にかけて残忍で悲惨な事件の報道が相次いでありました。その多くはイスラミックステイトによるものですが、川崎の十八歳の少年らの起こした事件にも驚かされました。

これらの事件をどう心に収めたらよいのか落ち着けない時に、聞こえてきた言葉がありました。それが上の法語です。

これは『ダンマパダ』(『法句経』)という釈尊の教えを集めた経典の言葉です。

以下に、その前後の関連する文章も含めて記します。

 

「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息むことがない。

「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。

実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。

(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳 岩波文庫より)

 

釈尊は、「怨みをすててこそ息む」と説きます。そして「これは永遠の真理である」と。

しかし、私たちに怒りや怨み憎しみなど善くない感情が起こらないようすることは可能でしょうか?

『正 信偈』に、「貪愛瞋憎之雲霧」(とんないしんぞうしうんむ)、貪りや執着心・怒りや憎しみは、雲や霧のように湧き起こってくるとあります。親鸞聖人は、そ のことに長い間苦悩された方だと聞いています。そして、その苦しみから解放された時の感動を後年に「雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す」と書いておら れます。

「雑行」は、自分の思いどおりにしようとする努力のことです。ですから私たちの日常行為すべてがそれです。それを「棄てて本願に帰す」とはどういうことなのか?

親鸞聖人のこの「棄てて」から釈尊の「すてて」の真意が見えてくると思います。

春彼岸会の法話では、このことを皆様と考えていきたいと思っています。

 

寺報第93号より

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