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門徒のひろば

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嬉しいお便り! №2

嬉しいお便り! №2

2017.03.21

img023 (3)水島先生聞法会 副住職と住職・責任役員img023 (2)

過日の「水島見一先生聞法会」は、副住職が強く望み実現しましたが、住職にも魂胆がありました。

マンネリで停滞気味と感じていた寺の活動を「リフレッシュできるのではないか」と思ったのです。

そこで、多くの方々に親鸞聖人が開顕した仏教を知っていただき、やがては檀家(門徒)であろうと無かろうと、その教えに共感した方々と一緒に聞法していきたいと考え、『房日新聞』にも掲載してもらいました。

予想を越えた30人ほどの檀家(門徒)以外の方々が聴聞に訪れ、みなさん一様に寂(しず)かに深くご法話にうなずいておられ、今後が楽しみになりました。

さて、その中のお一人が、HP「お知らせ」の「書籍紹介」を閲覧し、寺を訪れたのでした。

一時間ほどご自身のことをお話しされ、『精神主義』(清沢満之)『絶対他力の大道』(清沢満之 林暁宇現代語訳)『如来に芝居させられていた人生』(水島見一)をお求めになりました。

以下は、その後いただいたお手紙です。

前略 私は先日、本を欲しいと訪ねた者です。

あのときは、大事なものをいただいたのにもかかわらず、「お礼も言わずに帰ってきたかも知れない」と、後々不安になるほど気持ちに余裕がありませんでした。

おおげさに言うと、立場・体裁をふりすてて行ったので、「ありがとうございます」と言った覚えもはっきりしないのです。

それで、遅くなりましたが、お礼とその後のことを少しと思い手紙にしました。

はっきりしたことは、「私は思い上がった生意気で恥ずかしい人」だったということです。

自分は、善悪をわきまえた、人に尽くすことができる良い人、とばかり思っていたので、愕然としました。

これでは、いくらやっても貪瞋痴がとれないわけです。他力を無視しての精進だったから、内に満足が無かったのかも知れません。

自分は正しい偉いと思っているかわいそうな私を、仏さまが見かねてなんとかつけて下さった道かもしれないと思っています。

6月の「水島見一先生聞法会」には伺います。

ありがとうございました。

 

以下は、私の返信です。

 

拝復 お手紙有り難うございます。ご心配は無用です。「水島見一先生聞法会」で、浄土真宗に関心をお持ちになった方が訪れてくださったことは、嬉しいことでした。

お手紙に「自分は、善悪をわきまえた人に尽くすことができる良い人とばかり思っていましたので、愕然としました」とありました。その瞬間が「仏さま」と出遇った時です。

あなた様のような「罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがため」(『歎異抄』第一条)に「仏さま」が在ります。

次ぎに「これではいくらやっても貪瞋痴がとれないわけです」とありますが、三毒といわれる煩悩を私から取ってしまったら、私が無くなってしまいます。

私も「思い上がった生意気で恥ずかしい人」であります。仏さまが教えてくれたその私が安住できる場所は、そこでした。

今のままで在ることが仏さまに赦されていたのです。ところが貪瞋痴である自分を忘れて、すぐ「良い人」に高上がりです。

仏法を聴聞すると、その自覚に不思議に落ち着けるのです。
「賢くなることばかりを教える世の中にあって、わが身の愚かさを知る道あり。」 これが浄土真宗です。

では、またお便りをいただければ嬉しいです。

                                合掌
三月十九日

 

よしあしの文字をもしらぬひとはみな

まことのこころなりけるを

善悪の字しりがおは

おおそらごとのかたちなり

『正像末和讃』より

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