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門徒のひろば

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南無阿弥陀仏の人生を語る ― 谷 英郎氏、報恩講感話 ―

南無阿弥陀仏の人生を語る ― 谷 英郎氏、報恩講感話 ―

2017.11.21

2017.11.18谷英郎感話を聞く2017.11.18谷英郎感話2017.11.13仏具磨き2017.11.20月曜お朝事

写真左は、感話を聞く80名ほどのご門徒、その隣は谷英郎氏の感話風景(2017.11.18)、その右は仏具を磨く谷氏(11.13)、一番右は、月曜朝のお勤め風景(11.20)、写真の一番左が谷氏です。

※「南無阿弥陀仏の人生を語る ― 谷 英郎 氏、報恩講感話 ―」の見出しは、私(住職)が付けました。


 

感話      勝善寺報恩講    2017.11.18

只今紹介されました谷でございます。南房総市検儀谷に住んでおります。昭和4年生まれで現在88歳、三重県四日市市近く鈴鹿山脈、湯の山温泉の麓に生まれ、家は浄土真宗大谷派です。

私事で恐縮ですが私と宗教との係りは4才頃当時幼稚園はありませんでした。日曜日毎、お寺の日曜学校で意味分からずナンマンダーを唱え和尚さんの話を聞き、家では毎朝仏壇と神棚を拝んでから朝食を取る習慣、夜は姉の正信偈と御文の読経を時々側で聞いていました。これらの事は私の脳の記憶に強く刻み込まれたと考えております。その後宗教には縁なく、会社に入り30才1963年頃Postdoctoral Fellowship(博士取得後研究奨学金)で海外留学を思い立ちました。当時はこの制度は日本にはなく欧米の大学にはありました。一ドル360円、海外持ち出しも500ドルと制限され、パスポートもビジネスや留学しか発給されない時代でした。会社を2年間休職、博士研究員としてカナダのオタワ大学生化学教室、オランダのナイメーヘン大学薬理学教室から旅費と奨学金を頂き夫々一年間ずつ研究生活を送りました。その頃日本では英会話の教材と云えばリガフォンのレコードしかなく、近くの米国人の宣教師の御宅で聖書の輪読会がありこれに加わり英会話を習いキリスト教の知識も得ました。その縁でカナダのオタワでは毎週日曜日プロテスタント系の教会へ足を運びました。しかしキリスト教は私にはなじめず信者になれずそのままになりました。会社を68才で退任しこの検儀谷に移り、ある日、川名喜昭さんの御宅で勝善寺さんの話を伺い紹介していただき、門徒ではありませんが住職も快く受け入れて頂き2010年10月10日の同朋会に出席今日に至っております。

勝善寺でいろいろ聞法の会に出席させて頂き、親鸞の自然法爾、他力の信心、蓮如の他力本願さらに最近では清沢満之の絶対他力の大道又他力の救済といろいろ他力について聴聞させていただいております。この他力と言う事は私にとり納得理解できませんでした。と申しますのは私3歳の頃母親が病に倒れ6歳で死別しその後自力と自己責任と云う考えで生きてきました。信じる事それ自体自力ではないのかと。小説家で仏教に詳しい五木寛之氏が他力についてヨットに譬え、ヨットは無風状態では動かない他力という風が吹いてこない限りヨットは自力では走れない。又風だけ頼りにしても早く走れない。それなりの自力の努力が必要である。又人間一人一人母の胎内で育まれ母の産み落とす力でこの世に誕生出来、それからも母や他人の力で育てられ大人になります。スタート時点から他力に支えられて生きています。そして他力の思想は真の絶望から発する思想であると書いておられます。他力とは自力の反対の言葉ではなく他力と云う大きな見えない不可思議な世界があり他力への信頼から自力が生まれてくるそして他力と自力は連携しているのだと気づきました。清沢満之は絶対他力を宇宙万有の千変万化はみなこれ一大不可思議の妙用に属すると書いておられます。他とは阿弥陀如来、力は如来の働きです。

毎週月曜日の朝6時20分前後より始まる朝のお勤め、現在十数名ですが正信偈と和讃のお勤めと住職の御文の拝読と短い法話です。私も参加させて頂き4年になります。私の生活でこの月曜日の朝のお勤めは今週も頑張るぞと元気を頂き、そして念仏申す生活も身に付きつつあります。これからもしっかり聴聞して信心を確かめていきたいと考えております。この報恩講にて仏恩に感謝し私の感話とさせて頂きます。有難うございました。

谷 英郎 記


 

毎年、報恩講の感話を録音しそれを活字にして寺報に掲載させていただいているのですが、今年はうっかりして録音できませんでした。

困って、谷さんに相談したところ上記の文章をメールで送ってくださいました。

以下は、そこに副えられていた文章です。

文中の「本日はお電話を頂き・・・」は、谷さんの感話に興味を持った百々海 真 先生が、谷さんのことを電話で私に尋ねてきたので、私がまず谷さんに電話しその後百々海先生が谷さんに電話していろいろ訊いたことをことを指します。


 

勝善寺住職様

報恩講ではお世話になり、本日はお電話を頂き有難うございました。百々海住職様よりもお電話を頂き恐縮致しております。私の感話に興味を持っていただき有難く嬉しく存じております。

感話の全体を添付しますのでよろしくお取り計らいの程お願いします。投稿字数が分かりませんので適当に削除していただければ有難く存じます。

感話で英語の語彙が入っていますがPostdoctoral Fellowship は当時大学で学位取得者は海外の大学で研究をする場合この制度を利用していました。私は製薬会社の研究所に就職、1961年薬学博士の学位を東京大学で取得し新薬の開発研究をしておりましたが当時日本は新薬の開発が非常に遅れており欧米の製薬開発動向をみる必要があると考えこの制度を利用して欧米の大学で研究をしながら教授に製薬企業を紹介していただき時には教授と一緒に製薬企業の研究所を見学しました。そして帰国後も新薬開発研究に従事しました。

今でも新薬の開発は欧米に比べ日本は非常におくれをとっていますし莫大な費用がかかるようになりました。

今後ともよろしく御願い申し上げます。

谷 英郎

 


 

谷 英郎 様

百々海先生にHPに感話を掲載した旨伝えたところ、感話について下記の内容の返信がありました。

先生にお伝えしたいことがありましたら、ご返信ください。

「五木寛之氏の譬えは秀逸ながら、やはり相対分別です。「ヨット」それ自体も他力である見開きを「絶対他力」と呼ぶのでした。

他力は、本願他力であり仏力です。「自然のよう」(因縁他力=成り立たせているはたらき)を「知らせん料」(知らせるはたらき)ですから、他力は存在概念です。思想としてとどまるものではなく、「力」として現在ただいまのわが身(=現前の境遇)をしてわが身たらしめているはたらきでした。」

赤禰貞子さんいわく「私は絶対他力の見本です」。存在概念だからこそ言える世界です。

 

※百々海先生の師である林暁宇師が彼女のことを書いた本が数冊ありますので、月曜日の朝に紹介します。

インターネットで検索してみてください。

パソコンを使って電子書籍「kindle」で『【赤禰貞子】妙なるいのちこのいのち』を読めます。

百々海先生が引いた言葉「私は絶対他力の見本です」は、どこにあるか見つけられませんでした。尋ねてみま


 

 

 

 

 

 

 

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