第2回勝善寺聞法会(2019.6.2)
第2回勝善寺聞法会(2019.6.2)
2019.08.05
第二回勝善寺聞法会(六月二日)での副住職井上泰之の法話の冒頭部分です。
やがては当寺の住職となる自身の歩み。
聞法(仏法聴聞)するということは、仏教の講演会を聴くこととは違う。
という内容です。
あらためまして今日は。
先ほど、住職の挨拶を聞きまして、茨城や横浜、千葉、船橋の遠くから、そして南房総からお集まりいただきまして、ありがとうございます。私も遠くから来た一人でありまして、昨日京都から参りました。
皆さまが、どのような思いで、今日この寺にお集まりいただいたのか、私にはよくわかりません。それぞれ内に秘められたものがあるといいますか、住職に言われて義務感からか、周りの人に誘われたとか、どのような因縁によるのか、私にはわかりません。ただ、それぞれのところでお聞きいただければと思います。
ところで、どう見てもこの中で一番若いのは私です。私は今二十八歳ですので、四捨五入しても三十歳です。私以外でいえば、お若い方で六十歳代のように思います。そうしますと、三十歳以上の年齢の差がある私が、お話をさせていただく。これは厚かましいことのように思うのです。人生経験ということでいえば、皆さまが大先輩です。その方々に若造が何を喋ることがあるのか、と思う方もいるはずです。しかし、ここは仏法の場ですので、人生経験の如何にかかわらず、一つ仏法、聴聞についてお話しさせていただこうと思います。人生経験が多いとか少ないとか、有るとか無いとかは世間のことに過ぎないのです。
自己紹介
初めての方もおられますので、まず私自身のことを少しお話しさせていただきます。
ちょうど十年前の四月、私は京都にある真宗大谷派の大学である大谷大学の歴史学科に入学しました。
ご存知の方もおられると思いますが、この寺の住職も先代住職も教員をしていました。その影響が少なからずあって、将来この寺の住職になるまで学校の教員になろうと当時の私は漠然と思っていました。ただ、勉強は出来の良いほうではありませんでしたが、歴史に興味がありましたので、社会科の教員になろうと思い歴史学科に進学したのです。そうすれば、社会科の教員資格だけでなく、所定の科目を履修すれば真宗大谷派の住職になる資格も大谷大学では取得できるのです。
しかし、四年間の学びが終わりに近づいた頃、「このまま寺に帰ってもいいのだろうか。何も仏教をわかってない」という問題が私自身の中に起こったのです。浄土真宗や仏教のことは多少なりとも学部の時に勉強したつもりでしたが、「仏教がわからん。このままではまずい」と思ったのです。
そのきっかけとなったのが、三年生の時に水島見一先生の勉強会に出た時です。先生には四回ほど、この寺でもご法話していただきました。迷っていた私に水島先生は、「おまえ、大学院に来ないか」と声をかけていただき、そこで両親に相談して大学院へ進学する決断をしました。勉強が嫌いな私が大学院を目指すのですから、可笑しな話しなのです。大学院の修士課程に進学しましたが、あっという間に二年が経ち、それでも物足りないという思いでした。そこでさらに博士課程に進学し、水島先生のもとで聴聞を続けました。そして、これも水島先生の因縁ですが、一昨年の四月から大谷派の系列校である光華女子高校で宗教科の非常勤講師を一年間しました。昨年の春には、博士課程を退学し、非常勤講師の職も辞しました。
その後、色々な因縁があって、今は京都の清水寺に関係する老人福祉施設でショートステイ(短期入所)を担当する生活相談員として働いています。皆さまの中には、お身内の方で要介護認定を受けて、デイサービスやショートステイ、あるいは特別養護老人ホームを利用されている方もおられると思います。私は相談員ですので、利用者家族や他事業所、役所とのやり取り、利用者のケアに対する評価を主な仕事内容とするため、直接介護に携わることはありませんが、生老病死を目の当たりにする現場で働きはじめて二年目になります。
寺の跡継ぎとしての自分
この寺は、「私の寺」というわけではありませんが、私が生まれ育った寺です。今は住職が健在ですので、何年後になるかわかりませんが、やがて後を継がなければなりません。
昔は全てが義務でした。得度するのも、大谷大学に行くのも嫌々です。何か自分の中に嫌な気持ちを払拭できるような言い訳をつくっていました。「寺なんか継ぎたくない」「次男だったらよかったのに」と思いましたが、姉は「弟が継ぐに決まっている」と思っていますので、何か見えない「後継ぎ」という縄に縛られていました。私に生まれた時から将来を選ぶような自由はないと思っていました。周囲からも「将来、住職になるのでしょう」と言われ、今思えば大切にお育ていただいていたのですが、全てが嫌々でした。
百八十度の方向転換
これは不思議なことですが、水島先生のところで聴聞を続ける中で、「そうか!」と自分の中から湧いてくるものがありました。それは「自分が思っていたのは仏教ではなかった!」ということです。父や祖父の姿を幼いながらに見ていた私にとって、葬儀するのが仏教であり、周りからも「あんたたち(坊主)は、人が死んで儲けているんだぞ」と聞かされたことがあります。
だから、葬式をして金儲けをするのは嫌だなと、小さい頃から思っていました。その仏教は葬式だと思っていたものが、水島先生のお話を聞く中で百八十度変わったのです。「そうではない。そもそも仏教は葬式ではないのだ」と感じたのです。
私たちは日頃、仏教の「ぶ」の字さえも考えずに生きています。けれども、よくよく私が今ここにいることを見たら、その一挙手一投足が仏教の範疇でないものはないのです。そのことがわかって以来、私にとって仏教は「聞かざるを得ない」ものになりました。
仏法を聴聞すること
皆さまが、何故ここにお集まりになったのか。それは仏教を聞くためであると思います。それは正解です。寺の聞法会や千葉組の活動(親鸞教室や婦人研修会など)、余所のお寺に出向かれて聞法されている方もいると思います。
仏法を聴聞して「本当のこと」を知る。まずここから出発する。もう少し言えば、本当のことが知りたいという思いが起こって、がむしゃらに聴聞する。ここが大事なところです。そして、どんなことからでも仏法を聴聞できる身にまで育てられる。ここまで行かないとダメです。そうでないと、結局空っぽ感が起こります。私はそのように聞いています。
親鸞聖人の時代に寺はありませんでした。寺の本堂のような儀式を行う堅苦しいところで説教を聞くということではなく、親鸞聖人は生活を共にする家族やその土地の人々、あるいは聖人を招いた方々のところへ赴き、仏教が即生活であることを語られたのだと思います。それは背筋をピーンと伸ばして聞くというよりも、親鸞聖人自身が生活を通して知らされた「自分のだらしなさ」というか、「どうしようもならない自分」を曝け出したところに本当の自分と打ち解けられる、共感の世界のお話であったと思います。それが仏法に照らされる、ということではないでしょうか。
私の仏法聴聞の場
私が働いている老人福祉施設には、認知症が進んで自分では喋れない人、自分では排泄もできない人、食べることも歩くこともできない人など、様々な方がいます。
その人たちを見ていると、「この人にとって満足とは何だろう?」と考えざるを得ません。あるいは同僚に対して、「この人は何を思って利用者を見ているのだろう」「今の一言の裏には、どんな思いがあるのだろう?」と私は考えるのです。見た目ではわからない、表面には現れない何かがあるのです。これは皆さまにも共通していることではないかと思います。
あなたのためと思いながら、一挙手一投足に「魂胆」がある。人には見えず、自分でも気づかない「魂胆」です。その辺りが私は非常に気になるのです。関わりのある人たちの姿から、その「魂胆」が気になるのですが、自分にその思いが向くのです。「魂胆」は誰にでもありますが、それに気づかなければ、「魂胆」に振り回されるということがあります。それは「自分の思い」というものかもしれませんが、それが返って世界を狭くしているのです。常に「魂胆」をつくり、自分で自分を狭くする。その自分から解放せしめるはたらきに出遇っていきたいと私は思うのです。