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門徒のひろば

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ご門徒からのお便り

ご門徒からのお便り

2019.08.28

お盆に、お母様を亡くされたご家族が、親子4人で玄関に訪れました。

遠方よりお墓参りにお越しになった折のことですが、

「護持金を何時どのくらい納めたらよいのか?」と訊ねられたのでした。

お墓参りに来て、生前お母様が現金書留を寺に送っていた姿が思い出されたのでしょう。

「お母様は、こうでしたよ。」と答え、寺報第「光といのち」119号をお渡ししました。

その後、ご丁寧に、お菓子を送ってくださいました。

そこで、お手紙を書き東本願寺出版の冊子『お盆』を同封したところ、

まもなく護持金とお手紙が届きました。

以下は、お菓子の礼状、護持金に添えられたご門徒からのお便り、それへの返信です。


残暑お見舞い申しあげます。
ご家族でお墓参りを過ごし、つながりの中に生かされてある「いのち」をそれぞれがお感じになったことと思います。
さて、この度は大変結構な品をいただき有り難うございます。

IMG_2561IMG_2569切り籠灯籠

2019.8.10副住職法話

写真は、八月十日の盂蘭盆会で副住職(長男)が法話をしているところとお盆に吊る切り籠灯籠です。
同封の冊子『お盆」五ページに金子大榮師のお言葉が記されています。
「仏法は死を問いとして、それに応えるに足る生を求める道である。」
お盆には亡き方々が還ってくると言いますが、自分を育ててくれた方々に思いを馳せ人生にを振り返るとき、無量のご縁をいただくばかりの自分であったと思い知らされます。
ところが私達は、日常生活に追われたり先のことを心配したりで、そのことを当然のこととして生きているようです。
亡き方を忍びつつ無量のご縁をいただいて生きていることを感じたら、亡き方は法身という仏様であります。
この切り籠灯籠は、真偽の程は定かではありませんが、人間が逆さ吊りにされている形だそうです。逆さ吊りにされると頭に血が上りますが、思いどおりにならないことにイライラを募らせ右往左往している私たちの姿を表したものと伝えられています。
自身のこの姿に「ハッ」と気づいたところに「安心」があります。「安心」は「あんじん」と読みます。「あんしん」とは似ていて非なる「仏教のすくい」です。
仏教を聴聞する人生を歩んで参りましょう。そのことが人間に生まれたことの一大事です。
では、酷暑が続いています。ご自愛ください。                                合掌
八月二十一日

勝善寺住職井上孝昌


お世話になっております。

先日は、色々教えていただき、有り難うございます。父、母、祖父母が眠る大切なお寺であり、いただいた寺報「光といのち」にある聞法供養の縁でつながる事ができることに、感謝まし、できるときにできるだけで、大変申し訳ありませんが、いくらかを納めさせていただきます。

二十一日付お手紙と『お盆』、早速拝読しました。

家族、子どもたちに何を伝えられるのか、制度ではなく、自分の人生の歩みを通して、ご縁の中に生かされている事に気付くきっかけが作れる様にして行ければと思っております。

今後とも、宜しくお願い申しあげます。


拝復 御懇志を賜り有り難うございます。護持金として納めさせていただきます。
護持金は、仏教(親鸞聖人の教え)を護り維持(相続)していく資金ということです。具体的には宗門や寺の維持と教化活動のため使われます。

寺報の感想をお伝えいただき.嬉しいです。「聞法供養の縁で繋がる事ができることに感謝もし」と、有り難いお言葉です。
また、「子どもたちに何を伝えられるのか」と問い「ご縁の中に生かされている事」に気付くきっかけが作れる様に」していきたいと、素晴らしいことです。
お父様のことは残念ながら存じ上げません。お母様は、度々お会いしています。ご尊顔が懐かしく思い出されます。知っている人も知らない人も「私」と繋がる人々です。人だけではありません私を取り巻きく環境とも私は一つです。無関係なものはありません。すべてのご縁、「無量寿」に生きる私です。
同封の冊子は、小川一乗先生のお話をもとにしています。
東本願寺は、私たち真宗大谷派の本山です。その「本願」が冊子の題名になっています。副題が「念仏成仏の教え」です。
親鸞聖人の開いた浄土真宗が、ここに示されています。どうぞ御熟読ください。
解らないことがあったら、お尋ねください。
当寺のHPをご覧になったことはありますか?「南房総市 勝善寺」と検索サイトに入れると見れます。
そこに「門徒ひろば」があります。
貴兄からいただいたお手紙を、匿名で掲載させてください。「亡き人を縁として仏法に出遇う」という言葉があります。葬式や法事もその場です。
今回のご家族そろっての墓参りが、「ご縁の中に生かされている」こと、すなわた仏法との出遇いとなったわけです。
墓参りや寺参りをし、普段は気づけない大事なことを知っ仁(ひと)がいた。そのことを多くの方に伝えたいのです。
ご了承ください。
では、次ぎにお会いすることを楽しみにしています。
合掌
八月二十八日(親鸞聖人月命日)

勝善寺住職井上孝昌

 

 

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