2024報恩講感話 「ご縁」
2024報恩講感話 「ご縁」
2024.12.31
私は、中佐久間の伊藤照代と申します。人前でお話しできるような者ではありませんが、自分の思ったことを話せばよいとのことでしたので、少しお話しさせていただきます。
私が南無阿弥陀仏という念仏にご縁ができたのは、大切な人との突然の別れがあり自分自身どうしたら良いのかわからず、身体がここにあっても気持ちはここにあらずという状態の時でした。家の中に居ても自分自身落ち着いていられる場所も無く何も手につきませんでした。その頃に住職が初七日二七日三七日と七日ごとにお参りに来てくださっていたので、そんな自分の様子をそのままお話しすると、「南無阿弥陀仏」と掌を合わせて念仏を称えるよう言われたのでした。
その時の自分は、きっと藁にもすがりつきたい気持ちだったのだと思います。それから毎日何度も何度も掌を合わせ「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏・・・」と称える日々が長く続きました。
しかしいつの間にか気がついてみると、その回数は少しずつ減っていました。今思えば、すがりつくような気持ちが和らぎ平常を少しずつ取り戻していたのでしょう。今も朝晩お内仏((仏壇)の前で合掌しお念仏は称えています。そして仕事にも復帰できました。
この春に長年勤めていた仕事を退職すると、以前から親しくしていただいている方に誘われ、勝善寺の「月曜朝のお勤め」に毎週参加させていただくようになりました。
月曜日の朝六時から十人ほどの人たちと本堂で「正信偈」などのお勤めをして蓮如上人の「御文」を拝聴し、住職の法話を聴きます。
「すべて成るように成っている。」「良い事も悪い事もすべてご縁。」「起こった事実に立ち生きていく。」「独りで生きているのではない。共に生きている」というような仏教の考え方を聞いていると、なるほどとうなずけます。
四十分ほどの短い時間ですが、毎回とても楽しいです。一週間の始めということもあり、自分自身気合いも入ります。皆さんもぜひご一緒しませんか!
また、勝善寺などでの聞法会にも参加させていただくようになりました。仏教のことはよく解りませんが、お仲間と一緒にお勤めをして仏教を聴きお喋りできるのは楽しいです。
この感話をしなければならなくなり、私は独りで生きているのではないということに、改めて気づきました。確かに私はそうでした。人間は独りでは生きていませんね。いろいろな人に私は助けていただきました。ほんとうに有り難いことでした。お陰様です。こんな自分も誰かの助けになっていたら嬉しいのですがね・・・。
うまく気持ちが言えず、お聞き苦しかったと思います。すみませんでした。