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門徒のひろば

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浄土真宗でよかった

浄土真宗でよかった

2013.11.16

関口 昌司(釋志勇)さん

ご先祖の墓がここにない私が勝善寺とのご縁を頂いたのは、今は亡き推進員の大先輩、検儀谷の川名琢磨さんとの出会いからでした。
奥様のご葬儀が自宅で営まれ、先代ご住職のお正信偈に惹かれ、四季折々に勝善寺を訪ねるようになりました。晩秋の大イチョウの黄葉と紅が鮮烈なもみじ、春は新緑が美しく季節の変化を静かな境内で楽しんでいると、先代の坊守さんから声をかけられ、彼岸会へのお誘いを受けてから今日に至っております。(ちなみに20代の頃、北鎌倉や鎌倉の有名、無名のたくさんの寺院に頻繁に通いましたが、このようなことは一度もありませんでした。)
勝善寺本堂の輝く内陣の荘厳と、美しくやさしい阿弥陀如来像に惹かれながら、ご住職、副住職またお子さんお二人も大きな声で正信偈をお勤めする姿は、驚きとともに震える感動があり、この光景は忘れることがありません。
そのころ子育て中のわが身にとって何よりの良い刺激となり、その日二人の子供と妻に見たとおり話し聞かせて、私は真宗門徒となる心が定まりました。
歎異抄との出会いは中学二年(14歳)の教室です。第3章の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」。この言葉の意味を巡って、教室内から次々活発に意見が出て、しばらく先生が口を差し挟めず黙って成り行きを見守って、意見が出尽くすのをじっと待っていたことがなつかしく思い出されます。
あれから50年、三ヵ月後には高齢者に分類される65歳になります。昨年、高齢の母親と二人暮らしの2歳上の独身の友人が、「母の死亡届を出したら館山市職員から独居老人扱いされてショックだった」と憤慨しておりましたが、ブッダの教え生老病死をまだ聴く機会を持っていないのかもしれません。
わたしたちの浄土真宗には「いつまで生きても退屈しない人生といつ死んでも後悔しない人生がある」と聞いておりますが、その通りの人生を生きられたのではないかと思うお二人が最近亡くなられました。
享年94歳のやなせたかしさんは長い間生まれてきた意味を自身に問いかけ、闇夜の迷路をさまよったと述懐し、児童向け漫画・アンパンマンが大ヒットし70年代で大きく開花した遅咲きのお一人ですが、それからの人生は「いつまで生きても退屈しない」日々を実践し、「人生はよろこばせごっこがいい」という言葉を残す充実振りでした。
島倉千代子さんは先ごろ75歳で亡くなられましたが、いつも周囲にやさしく配慮してこられ、告別式でたくさんの人が本当の悲しみの涙を流した人生は、菩薩の境地であったように思われます。人がこの世で生きる苦しみのすべて体験し、幼少の頃の輸血からC型肝炎を告げられ、いつも死から目をそらさずに大衆とともに歌に生き、死後のことも怠りなく整理して「いつ死んでも後悔しない人生」を完全燃焼させた一生のように思います。
親鸞聖人の生き方と念仏の教えに日々出会い、拠りどころのある喜びを深く感じながら新しい事業に取り組み始め、後悔も退屈もない人生を今歩んでいます。

報恩講(2013.11.16)での感話 寺報第86号より

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