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門徒のひろば

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真宗だけは、「如来から迷いの世界に生きている人間」への回向

真宗だけは、「如来から迷いの世界に生きている人間」への回向

2010.01.01

東京教区(勝善寺)推進員 関口昌司さん

14歳・中学校の教室で出遇った、「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」から、勝善寺にご縁をいただくまでの38年の道のりは長く、30代40代と子育てしながらふらふらさ迷い、この先いったい何処にたどり着くのやら、行く先が分からない不安な毎日を過ごしてきました。
境内で先代の坊守さんからお誘いを受けたのが2001年の春。すでに8年の時間が過ぎています。この間、ご住職も坊守さんも代替わりして、第30代住職は就任以来、現代の仏教の果たすべき役割と真宗のお寺のあり方を考え続け、報恩講などの大切な行事以外にも、「勝善寺同朋の会」を発足さて行動開始、すでに3年が経過しています。当初からこの会に参加させていただき、親鸞聖人の浄土真宗が身近に感じられるようになりました。
宗祖聖人が「弟子一人も持たず」と言い切る意味や「盆だな」や「卒塔婆」が不要の意味するところも、住職のお話から正しく理解することもできました。
真宗は「回向の宗教」であると言います。同じ仏教でも他宗は「人間から死者」への回向で、他人の目を意識した追善供養ですが、真宗だけは「如来から迷いの世界に生きている人間」への回向であることも知ることができました。
ここに集まる人たちは正信偈・念仏・和讃・回向をお勤めしてから、毎回この偈文の解釈を学ぶことから始まります。
聖人のおつくりに成った「正信偈」は帰命無量寿如来・南無不可思議光で始まり、阿弥陀如来の誓願と光明の働きが先ず表されています。
南インドの龍樹菩薩から天親菩薩、中国の曇鸞大師、道綽禅師、善導大師を経て、日本の源信僧都そして聖人の本師源空(法然)上人から親鸞聖人へ受け継がれ、そして南無阿弥陀仏は私たち門徒の拠り所となっています。
聖人の称える七高僧の功績を理解し、120句がすべて終わる頃には自分がどう変化しているのか楽しみでもあります。

(2009.12~2010.6まで全7回行われた「親鸞聖人に人生を学講座」に参加するお気持ちを寺報第64号に書いていただいた。)

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