朝に紅顔あって夕べに白骨となれる身なり
朝に紅顔あって夕べに白骨となれる身なり
2017.07.29
人を診(み)る
―死の容認までのサポート―
日本では毎年、約37万人の方がガンにより、いのちを失い、国民の二人に一人がガンに罹(かか)ると言われています。大塚北口診療所で主に末期ガン(根治が期待できないガン)の患者さんを診ておられる医者の梅澤充さんは、抗ガン剤は毒にも薬にもなるとして、抗ガン剤使用の副作用によって、苦しみ、亡くなる方々を診ていく中で、「人間の幸せや尊(そん)厳(げん)を無視している」ような抗ガン剤治療に警(けい)鐘(しよう)を鳴らされています。人間とは何か…。梅澤さんの歩みに尋ねていきます。
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とのインタビュー記事が『同朋新聞』七月号にありました。
その一部を掲載します。
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死の容認までの時間
―自分の死や家族の死をどのように受けとめていくのかが、医療の課題としてあるわけですね。
梅澤 それは、僧侶の方にとっても大きな課題だと思います。ただ、現在の余命宣告などは、患者さんを不幸にするだけだと思っています。例えば「余命一年です」などと言われたら、普通の患者さんは、狼狽(うろた)えるだけになります。ガン治療は確率だけの問題。一年以内に亡くなるかもしれないし、一年を超えて元気でいる方もいらっしやいます。だから、そんな数字を気にしてもわからないのですよ。人間なんて明日死ぬかもしれないし、五年後も生きているかもしれない。そんなものはわからないんです。
末期ガンになってしまっても、直(ただ)ちに死ぬわけではありません。「治らない」という現実があるだけです。その現実をどのように受けとめ、いずれ訪れる死までの時間をどう過ごすのかが大事だと思っています。そのように考え、充実した月日を送り、「ガンになってよかった」という言葉を残して亡くなった方も少なからず診てきました。
ガンになってしまった事実を直視するからこそ、現在の平(へい)穏(おん)な生が楽しめる。「死を意識するからこそ輝くいのち」が存在することを実感する患者さんはたくさんいます。あまり縁がなかった家族とのコミュニケーションが深くなったり、親の死が遠くないことを知り、初めて親孝行ができたという方もいますしね。
私はそのような意義ある時間こそが、大切ではないかと感じでいます。その時間は、「死の容認と納得」です。死の容認と納得とは、いかに生きるかということにつながっていくことですから。
そんなことを考えると、医療と宗教は密接に関係し合っていると思います。死があるから宗教、特に仏教的思想の死の容認という援助は必要だと感じています。