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住職のことば

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寺院の活性化

寺院の活性化

2017.10.19

但馬弘(たじまひろし)真宗大谷派宗務総長の標記の文章が、『真宗』7月号の巻頭言として掲載されています。以下は、その一部です。
寺院の「活性化」について考えてみたい。
私たちは、どんな時でも「今のままで留まっていたい」という誘惑に弱いものである。
門徒の数や法座への参詣者が減ったことを、「仕方ない」と済ませてしまいたいことも事実である。
しかし、寺院をめぐる環境が大きく変わる今という時代だからこそ、「今、目の前のやるべきこと」ではなく、「これからのために本当に考えるべきこと」に、時間をかけて向かい合うべきではないかと思う。
先般の教勢調査の結果でも明示されていたことは、「同朋の会」に象徴される僧俗が共に語り合う「場」が、寺院に開かれていることの重要性だった。
門徒と寺院との結びつきの強さこそが、本来、大切であったはずである。
今ここで、宗門があえて寺院の「活性化」を目指さなければならないと示すのは、単なる手法を超えて、寺院の根本的なあり方を問う機縁となることが願われているからなのだ。
つまり「ひとりの念仏者を見出す」という一点に、私たちの歩みの方向をはっきりさせることが求められているのである。
日々の法務はもちろん、本堂の掃除や境内の草取り、坊守との相談、門徒との語らいなど、すべての私たちの生活が、その一点にあるのだということを確認しなければならない。
寺院の「活性化」が意味するところは、寺院の本来性の回復を目指すという、同朋会運動の基本的な願いの再発見に他ならない。
寺院の「活性化」は、その本来性の回復にある。つまり寺院が聞法道場として開かれることだと。
 
ところで私は、仏教の魅力は世間の感覚とは異次元の視点をいただけるところにあると思っています。
人生の行き詰まりが終点じゃなくて 人生の行き詰まりが出発点となる道が仏法でしょう」(2009年度版『同朋会館日めくり法語』)という法語があります。
世間の感覚としては「行き詰まりは終点」ですよね。痛ましいことですが、新学期の始まる9月初めに子どもの自殺が特別多いそうです。今年もそのニュースが報じられていました。その子にとっては、学校生活の行き詰まりは人生の終点としか思えなかったのでしょう。
ところが人生の終点だと思い込んでいたら、そこが新たな人生の出発点に転換する道がある。それが仏道だと。
この転換こそが、実に聞法生活によりいただける功徳です。聞法の喜びです。念仏の力であります。

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