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住職のことば

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なぜ、葬儀や法事をするのか。

なぜ、葬儀や法事をするのか。

2018.03.07

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「残念ながら、私のおります寺でも真宗門徒でありながら、同じ門徒として信仰共同体というかたちでつながっている人は、ほんのわずかであります。あとの人は、ほとんど墓参り中心のかかわりです。墓参りという縁だけで寺院との関係が保たれている人が多いのです。その中で南無阿弥陀仏に依って葬儀を執行するということは、たいへんな願心と勇気と情熱が要請されます。 わたしもずっと住職をやってきて、葬儀がどんどん葬儀でなくなってきているということを痛感しています。一言で言えば、葬儀が企業化されている。空洞化している。世俗化している。葬儀社さんも、葬儀が何なのか、わからないで企業としてこなしているだけです。葬儀社さんも、本当は困っているんでしょうね。

そうなりますと、葬儀をたのむ遺族も、いよいよ葬儀そのものをどうして勤めるのかわからなくなる。「それならば葬儀をやめてお別れの会でいいんじゃないの」というような傾向が進んできています。いま、葬儀社さんの話しだと数年前で平均して二十パーセントの人は「葬儀はいらないお別れの会でいい」と答えるそうです。あるいはまた、荼毘葬というように、葬儀をやらないで、火葬場の炉の前で勤行するだけの場合も多いそうです。「正信偈」さえも勤める時間がないのです。 私のおります寺でも昨年、何件かありましたが、葬儀はしたいのだけれども、お金がかかってとてもできない。年寄りの一人暮らしで、子供がいないので、甥や姪が葬儀をする。そういう少子化時代の家族状況もあります。その中で葬儀をしていこうというのですから、その人の人生の最後を受け取るためにはどうしても葬儀は必要なんだということを、どこで言えるのかということがよほどはっきりしないといけない。そのことがいよいよ僧侶にも門徒にも問われてきたのです。」(『南無阿弥陀仏の葬儀』東本願寺出版部より)

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これは、二階堂行邦先生が10年ほど前にお話しされた内容です。先生は、東京都新宿区にある寺の住職でありました。 東京の風習は、10年後には房州に移ってくると言われます。先生がお話しされた状況が、今、房州でも起こってきています。葬儀の仕方が、ずいぶん変わりましたよね。 法事も同様です。 なぜ、法事をするのか。ここが大事なところです。 主催者になれば、実に大変です。僧侶との日取りや時間の調整、どなたに来ていただくか、お膳はどうするか、引き物はどうするか。今は、法事を行う場所も、自宅か寺か葬儀社のホールとかと迷います。さらには、何回忌まですればいいのか、ということもありますね。 春彼岸会では、このことをお話しする予定です。 春彼岸会 3月21日(水)春分の日 10時~11自30分

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