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住職のことば

世の盲冥をてらすなり

2018.09.10

病気になって 初めて 仏教の言葉が心に響きました。

 この言葉は、お盆に護持金を納めにご夫婦でいらっしゃったご門徒の言葉です。

 今までは奥様がお一人で見えました。ご主人が寺を訪れたことは、私の知る限りありません。寺にはお墓はありませんし。
「お久しぶりですね」と挨拶すると、「実は長患いをしていました」そして「寺報に書いてあることが、病気になって初めてわかりました」と、笑顔で私に語りかけてきました。
親の葬式と法事でしか寺との関わりがない寺報にもほとんど関心が無かった方が、病気になったことで初めて仏教にうなずけたのです。嬉しいことでした。

 次も、お盆に来た女性のことです。高齢の認知症の母親と暮らしています。「長時間母親を一人にできないので」と言っていましたが、介護のこと人は死んでいくという話しに、しばらく花を咲かせました。
別れ際に「こんなことお坊さんにだから言えるんですよ」と。
どんな話しだったかは想像してください。これも嬉しいことでした。

やはり会社に勤めながら一人で年老いた母親を自宅で介護し看取った男性から、「首を絞めたくなったこともあった」と聞かされたこともありました。

次は七日参りに伺った時に、妻を亡くした初老の方が語ったことです。
その男性は、若い頃は病気がちで胸が苦しくて寝床から起きられないことがたびたびあったのだそうです。
会社勤めをされていた奥様は、夫の苦しんでいる姿を見て、出勤する前に「大丈夫」と声をかけてくれたのだそうです。
本当は「大丈夫なわけないだろう」と言いたかったと回想され、「あの時妻は、俺のことを心配してくれていたのかねえ?」と、今更ながら自問するのです。
たまたまお内仏の脇に掛けてあった『法語カレンダー』に、「雑毒の善をもって かの浄土に回向する これ不可なり」とありました。
「私たちの『善』には、自分の都合という毒が雑じっていますね」と、互いに顔を見合わせて大笑いしました。

最後は、ある石屋さんの言った言葉です。
墓造りの技にかけては譲らない職人です。以前にお墓を建てる費用を値切ろうとしましたが、無駄でした。
世間話をしている折に、「わからない人には、何を言ってもダメですよ」と。
ご自分の経験を話してくれたのでが、妙に私もうなずきました。
口を酸っぱくして聞法の大切さを言っているのに、なかなかお越しいただけませんよね。
こんな愚痴がすぐ出てしまう私ですが、坊守(妻)からは、「何回言っても悪い癖が直らないんだから!」と叱られます。
坊守にとっては、私が「わからない人」です。
その坊守も、私からすれば「わからない人」と言いたい。


 

「世の盲冥をてらすなり」は、親鸞聖人が詠んだご和讃「弥陀成仏のこのかたは  いまに十劫をへたまえり  法身の光輪きわもなく  世の盲冥をてらすなり」の四句目です。

我執にとらわれている私たちには「ほんとうのこと」がわかりません。その私たち相(すがた)を阿弥陀仏は常に照らし続けているという意味です。

聞法生活は、阿弥陀仏のはたらきに毎日遇わせていただく生活です。

 

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