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住職のことば

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うれしさを むかしはそでに つつみけり こよいは身にも あまりぬるかな ①

うれしさを むかしはそでに つつみけり こよいは身にも あまりぬるかな ①

2019.01.15

これは、『御文』第1帖1通目(真宗大谷派『真宗聖典』760ページ)に引用されている和歌です。

この御文は元旦に毎年拝読しますし『御文』五帖は繰り読みされますので、一年間に5回は目にします。

他力の信心をいただいた喜びは別物!

という内容の和歌ですが、皆さんは、そんな喜びはありますか?

私は、このことが腑に落ちないまま、いつもこの御文を素通りしていました。

ここではまずこの和歌について、香月院深励(こうがついん じんれい)という江戸時代の宗学者が著した『御文第一通初通講義』(『眞宗体系』第32巻)により、探ってみました。

実はこの和歌は、藤原公任という平安時代の貴族が、主上(天皇)の計らいにより一足飛びにライバルを超え昇進した時の喜びを詠んだものだそうです。

ではなぜ蓮如上人は、そのような和歌をここで引用したのでしょう?

香月院深励師は、一足飛びにライバルを超え昇進したことが「凡夫から直に正定聚に超越する喜びによく合う」からだと解説しています。

つまり横超、思いがけず他力回向の信心をいただけた喜びを表現した和歌だというのです。

また、この歌を載せた経緯についても著しています。

少し長くなりますが、蓮如上人がこの和歌を引用した背景がわかりますので意訳してみました。

 

文明三年六月に加賀国加斗郡の俗道場、これは村役人の屋敷です。そこに村人が集い仏法を聴聞し談合(座談会)をするのです。文明三年というのは蓮如上人が、吉崎山中に坊舎を建てられた年です。その俗道場に、十人ほどが集まって法義を談合していた時にあったことです。

背が高い色黒い坊主役を務める者、これは村役人をしていた俗人ですが、大坊主分に、これは吉崎に多屋を構え蓮如上人にさまざまなことを取り次ぐ僧侶のことです。その大坊主分に「あなた様は、どのように心得て門徒を勧化なされているのか、お聞かせください」と問うたのでした。

その大坊主は「私は、仏法のご用物(門徒からのいただき物)で生計をたてていますが、一流の御勧化の趣は知りませぬ。ただ手次の坊主へ志を納め念仏申せばよいと伝えることが役目であると心得ています」と答えると、

彼の俗人が、「そうであるならば、あなた様は「信心のすがた」をちっともご存じないのですね」と臆面も無く言ったのでした。

大坊主は、「我らが心得ていることは、朝夕念仏申して仏助けたまえとさえ申せば往生すると心得ているばかりです。その他には、信心ということも安心ということも存じません。これが悪いと言うのであるならば、私に「信心のすがた」を教えてください。それを聴聞いたします」と答えたので、

彼の俗人は、「あなた様は大坊主分でありますが、当流の安心はご存じないと見えます。私たち俗身分の者が大坊主分の方に向かって「信心のすがた」を述べるのはいかがわしく思うけれども、『浄土論註』に「四海皆兄弟」とあることですから、私が聴聞した蓮如上人の御教化の趣をお話ししましょう」と話し始めたということです。

彼の俗人は、「聖人一流の御勧化のおもむきは信心をもって本とせられ候う」と話し始め一念帰命の安心から報謝の念仏まで、蓮如上人の御教化される通りを詳しく語って、「この趣を御心得になって御教化をされたならば、いよいよご繁昌しましょう」と話したそうです。

そうしたところ、その大坊主分は大いに喜んで「これは誠に仏の在世にお遇いしたような心地だ!」と言って改悔懺悔して、「今後は、私に従がっている小門徒をあなた様に預けますから、信心を得させてください。私も親鸞聖人一流の御勧化の趣をよくよく聴聞いたします」と言って吉崎へ帰りかけたが戻ってきて、古い時代の和歌だけれどもと言って「うれしさをむかしはそでにつつみけり こよいは身にもあまりぬるかな」と口ずさんみ、「今宵は身にもあまりぬるかな!」と嬉しそうに言い捨てて、そこを後にしたということです。

 

このことは文明三年の六月のことです。「或人いわく」とよばれるこの御文は文明三年七月に作られたものです。ですからこのことはこの地方で評判になっていました。蓮如上人も当然知っていたことです。

蓮如上人は、このことを皆が知っていることを踏まえて、一帖目初通に引いたのです。

これは、「信心をいただいた喜びは、格別!」「これを皆さんに味わってほしい」という蓮如上人の熱い思いです。

香月院深励師もこの和歌を「今までは助けたまへ南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と念仏さへ申せばよいと思っていたときは、袖に包むほどの嬉しさであったが、今また俗人の教えで信心を得たときは、歓喜の泪にむせぶほどの喜びであったので我が身に余る嬉しさだ」と説明しています。

※「蓮如上人の生前にすでに「五帖御文」が編纂されていた」(「真宗再興の人蓮如上人の生涯と教え』真宗大谷派教学研究所)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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