まもなく春のお彼岸です。
まもなく春のお彼岸です。
2020.03.08
春のお彼岸は、春分の日を中日とする一週間です。
『観無量寿経』には、阿弥陀仏の極楽浄土を見る方法として13の観察方法が説かれています。
その一番目が「日想観」で、それは西に徐々に沈んでいく太陽を想うことです。
「旭日昇天」という言葉があるように、昇る朝日には元気が出まが、沈む夕日はもの悲しい。
写真に撮ると朝日か夕日か実はよく解りませんが。
沈む夕日には、やはり人生の終末を感じてしまいます。
仏教は「諸行無常」と教えます。
海に沈む太陽を観たことがありますか?
少しずつ下から欠けていき最後にスッと無くなります。
人生を振り返りいつかはこうして終わっていくと、人生の事実を知らされる。
「それは、自分のことですよ」と受けとめなければならないでしょう。
しかし、それは最も私の嫌なことです。
「坊主の不信心」とはよく言ったもので、私は積極的に墓参りはしません。
嫁である坊守が誘うので断れず墓前でお勤めをします。
ところが墓地の掃除をしていると、
両親や祖父母、さらには子供の頃から私を見てくれた方々に会います。
その時の墓地は賑やかです。
お彼岸ともなれば、生きている旧知の人たちまでが集まってきます。
墓地の入り口には前住職が建てた「倶会一処」の石碑があります。
この言葉通り墓地には、生きている人も死んだ人も一つ処に在る。
浄土を感ずる場所です。
親鸞聖人の曾孫覚如上人が著した『改邪鈔』という書物があります。
「お彼岸には、天界の中陽院の冥衆(人の目には見えない神的存在)が集まり、
私たちの善悪を裁く。
だからこの時期には善いこと(先祖供養)をする」と、
当時の人々の心が記されています。
同様に死者の霊を怖れ、墓参りしている人が今もいるようです。
迷っているのはご本人なのですが、死者が迷っていると思い込んでいる。
自分が落ち着けない原因を死者に転嫁していることがわからない。
ところが仏教の道理に目覚めると、ハッと救われる。
お彼岸会での仏教聴聞は、そのチャンス。
覚如上人は、それはお彼岸に限ったことではい。
毎日の聞法生活が大切と『改邪鈔』で述べています。