いつでも、どこでも、 自分の居る場所に 救いがある。 湯浅成幸
いつでも、どこでも、 自分の居る場所に 救いがある。 湯浅成幸
2020.05.29
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。厳しい状況にある方もいらっしゃることでしょう。
ニュースを視れば毎日コロナウイルス。千葉県は緊急事態宣言が今だに続いています。
聞法会や集会がことごとく無くなり、法事や葬儀も今まで通りというわけにはいきません。
季節は巡りますが、いつもの生活には戻れません。
新型コロナウイルス感染症に罹りたくないし他人に移すことも嫌です。三密を避けマスクを着用しアルコールで手指消毒し、さらに石けんで手洗いするようになりました。
まだマスクを忘れてしまうこともありますが、だんだんと「新しい生活様式」とやらに、私の生活も変わってきました。
さて、標題の言葉は、『親鸞さまのみ教え「真宗宗歌」に聞く』という本の「念仏の利益(りやく)」という章にあります。
念仏は、南無阿弥陀仏と称えること。そこに与えられる利益つまり安(あん)心(じん)は、「今ここが私の居場所であった」とのうなずきだと。
コロナウイルス禍に惑(まど)い今までとは違う時代社会に向っている今こそ、私たちの精神的な立脚地が念仏申す生活にあると確認するときです。仏教すなわち浄土真宗が輝くときです。
言うまでもなく[念仏の利益」は、私たちの願望が叶えられることではありません。
「念仏はとなえてから助かるのでなく、たすけられてある事実にうなずいて生きること」と
前述の本にあります。その部分を見開きページに掲載しましたので、どうぞ味読ください。
また念仏申す生活について、「六字のみ名をとなえつつ 世のなりわいにいそしまん」という題で東京都練馬区にある真宗会館の日曜礼拝(五月三日)でお話ししました。「真宗会館ユーチューブチャンネル」とパソコンやスマートフォンで検索し写真の映像を探してください。視聴できます。
それを視聴した方々から、電話やメールなどで感想が届きました。嬉しかったです。
船橋市にお住まいのNさんからは、以下のメールが届きました。
「コロナ旋風の終息後には、新生活様式が始まるとの説があります。テレワーク、オンライン診療など、コロナを契機にして普及が進むことでしょう。他にもいつでもどこでも自分が選ぶことにアクセスできる自由度が増えるのではないかと思います。これにより手に入る情報量は、じっとしていてもこれまでに比べて格段に増えることでしょうから、高齢者には生きやすい生活になるかもしれません。
you-tube法話は、新生活の始まりではないかと思いました。単に音声だけではなく映像が伴うことで、より身近に感じることができます。
妻などは、お顔を拝見しながら法話を拝聴できたことで、ウツ感が薄らぎ不安な気持ちが一掃されたと申しております。これからも持続していただけたらありがたいと思います。」
もやもやとする心に一条の光が差し込みました。新しい時代社会に適う布教を試行錯誤していく力になりました。