親鸞聖人と聖徳太子
親鸞聖人と聖徳太子
2021.04.04
本年は、聖徳太子1400回忌の年です。
聖徳太子については、十人の訴えを同時に聴けるほどの聡明な方、推古天皇の摂政となり憲法十七条を制定し遣隋使を派遣した政治家、法隆寺を建立し仏教に詳しい文化人、大工さんなど職人の信仰を集めた方、ご年配の方は一万円札の肖像であったこともご存じでしょう。
私は高校生の頃に梅原猛の『隠された十字架』を読み、祟る聖徳太子に畏れを感じつつ法隆寺の謎に胸躍らせたことを思いだします。
本年の春彼岸法要は聖徳太子1400回忌法要をと兼ねてお勤めしました。
それは、在家生活のまま仏道を歩まれた聖徳太子がお手本となり、親鸞聖人は肉食妻帯し浄土真宗という新たな仏道を歩め、私たちもその道を歩んでいるからです。
聖徳太子は日本の国のお釈迦様
和国の教主聖徳皇
広大恩徳謝しがたし
一心に帰命したてまつり
奉讃不退ならしめよ
(「皇太子聖徳奉讃」『真宗大谷派勤行集(赤本)』121頁)
日本には聖徳太子が、仏教を伝え弘めてくださいました。聖徳太子は日本の国のお釈迦様。その広大な恩徳はいくら感謝しても感謝し尽くせません。
聖徳太子様に一心に帰命したてまつります。
どうか阿弥陀様、聖徳太子を奉讃する心が退転しないようしてください」と。
親鸞聖人は、この心で聖徳太子像を傍らに奉安していたと伝えられています。
と親鸞聖人は聖徳太子をほめ讃えておられます。
七高僧と聖徳太子
真宗寺院の内陣余間には、七高僧と共に聖徳太子が奉安されています。
七高僧は、浄土真宗を親鸞聖人にまで伝えたインド中国日本の七人の僧侶です。
これは、浄土真宗の信心の伝統を表しています。
聖徳太子像は、髪は美豆良に結い豪族の着る衣装の上に僧侶の着る二十五条袈裟と柄香炉という仏具を手にしています。茨城県水戸市にある真宗大谷派善重寺の聖徳太子像は、左手に柄香炉を右手には豪族が手にした笏を持っています。
この像は一般的には「聖徳太子孝養像」と呼ばれています。しかしそのお姿からすると親孝行のお姿というよりも、在家生活のまま仏道を歩まれた聖徳太子の人生を象徴するお姿であると言えましょう。
真宗宗歌二番で詠われている「六字のみ名をとなえつつ 世のなりわいにいそしまん」というお姿です。
この聖徳太子像は、浄土真宗の生活を表しています。
聖徳太子の夢告
左図は親鸞聖人の生涯を絵巻物にした『御絵伝』第四図の一部分です。親鸞聖人の人生を決定づける出来事が描かれた場面です。
左側に横になり眠っている親鸞聖人、右側に夢の中でお告げを受けている親鸞聖人が描かれています。
「法然上人の説く教えは、これまでの仏教とはまったく異なる無(む)戒(かい)の仏教、肉食妻帯の在(ざい)家(け)生活のまま歩む仏道です。親鸞よ。その道を歩みなさい」と。
この夢告は、比叡山での戒律をまもり厳しい修行による仏道に挫折した親鸞聖人に、進むべき道を示してくれました。
観世音菩薩は、聖徳太子となって日本に現れたと当時は思われていましたから、親鸞聖人にとってこの夢告は聖徳太子からのものでした。
親鸞聖人は、この新しい仏道を歩むご自身の立場を「非僧非俗」と、後に『教行信証』に記しています。