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住職のことば

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親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。   『歎異抄』

親鸞は父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。   『歎異抄』

2023.08.02

「八日講十日講」

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6月8日(木)

寺の近くにお住まいの19軒の方々の聞法会です。この日は8人の方が集まりました。年に二度1月と6月に実施しています。この地に寺が移転した17世紀初め?から続いていると思います。

「中佐久間講」

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5月19日(金)

鋸南町中佐久間地区19軒の方々の聞法会です。この日は5人の方が集まりました。年に一度5月に実施しています。2015年にこの地区世話人の方々が一念発起して始まりました。

講では、「正信偈」などをお勤めし法話を聞き皆さんで語り合い、二時間ほどを寺の本堂で過ごしています。
「損得を忘れて寺参り」という言葉があります。寺は日頃私たちが常識としている損得勘定や善悪の分別などを横に置き、仏さまの感覚と発想を聞く場です。
それは、どういうことなのか。
池田勇諦先生のお話しを掲載しましたので、下にスクロールしてぜひ味わってください。

もし万が一、貴方様がこのような聞法会を開きたいと思ったら、賛同者を一人見つけてください。私も含め三人の仲間で始めましょう。
「俺が死んだらたのむよ」と、年長者から言われることがあります。これは、「聞法会はお断り」ということですね。しかしそれでは、人生が空(むな)しく過(す)ぎ去ってしまう。

題字下は、親鸞聖人のお言葉です。「孝養」は供養、「一辺」は一度のことです。
親鸞聖人は「私は追善供養のために念仏したことは一度もありません」と、言い切っておられます。亡き人の幸福を祈り行う供養を追善供養と言いますが、浄土真宗は生きている「あなた」が対象です。
親鸞聖人は、二十九歳の時に法然上人から「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」と教えをいただき、「ついに念仏の息たえましましおわりぬ」と九十歳でお亡くなりになるまで、「ただ念仏」の人生でした。
その人生を喜ばれて、和讃にこう詠まれました。

本願力(りき)にあいぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝(ほう)海(かい)みちみちて
煩(ぼん)悩(のう)の濁(じよく)水(しい)へだてなし

(「高僧和讃」)


著者略歴2

池田勇諦先生

 

■真面目とはなにか
今は亡き先(せん)覚(かく)のお言葉に「人間は真面目であることは大切であるが、真面目だけでは流(る)転(てん)するばかりだ」という一言があります。
私はこの言葉に接した時、自分の心に突き刺さるようなものを覚えました、「いったい真面目とはどういうことなのか」。それ以来、ずっとその問いを引きずってきましたが、とくに今日、私たちが身を置く時代社会のさまざまな状況を考えた時に、この一点が殊(こと)のほか思われてなりません。
こうして聞法(もんぽう)の場にお集まりのみなさん方は、一般的に言えば、いわゆる「真面目な方」ですね。「あのお母さんは真面目な人で」とか、おそらく周囲からは褒められ尊敬もされていらっしやる方々でしょう。ところが、教えに聞いていくとそうは言えなくなってくるのではないでしょうか。
人間にとって真面目であることは大事なことだというのは言うまでもないことですが「真面目だけでは流転するばかりだ」、この一言の持つ重さですね。ここでは「流転するばかりだ」と言われていますが、流転ということは、言わば「状況に流される」ということでしょう。真面目だけでは人間はその時々の状況に流されるばかりなのだと。
では、なぜ私たちは流転するのでしょうか。それこそは、親鸞聖人が終生問題にし続けられた「善悪の分(ふん)別(べつ)」のこころ、この善悪の考え方が私たちの生きる立場になっているからでしょう。

■人間にとってのもう一つの視点
では、そのもう一つの視点とは何かと言いますと、それが「真(しん)偽(ぎ)」と言われるものです。真実か虚偽かということです。原発を動かすことは、現実主義からは善だから強調される。ところが、それが善であっても「偽」ではないかと。なぜなら、いかに「安全に」と言っても、安全ということはありえないし、人類と核の共存は成り立たないからです。この発想、この見識が仏さまの智(ち)慧(え)というものでしょう。親鸞聖人の『正像末和讃』にこういう一首がありますね。

智慧の念仏うることは
法(ほう)蔵(ぞう)願(がん)力(りき)のなせるなり
信心の智慧なかりせば
いかでか涅槃をさとらまし
(真宗聖典五〇三頁)
信心とは智慧なのです。なにか信心と聞くと私たちは「ありがたい」とか「感謝」とか、そういったことをイメージしがちです。もちろんそうした心情をともなうことは言うまでもありませんが、本質的に信心は徹底して、智慧の念仏に賜る、仏さまの智慧です。何が人間を本当に主体的に生きさせるものか、反対に何が人間を没主体化し、骨抜きにして果てには非人間化する虚偽であるか、真実と虚偽というこの一点を問うていく感覚こそが信心の智慧、南(な)無(む)阿(あ)弥(み)陀(だ)仏(ぶつ)という智慧なのです。
私たちがこうして親鸞聖人の教えに遇(あ)わせていただくのは、この南無阿弥陀仏の智慧によって、真実と虚偽の際(きわ)を真に見据えていく道に立つことが要請されているからです。
真偽というもう一つの視点を賜ること。善悪の視点だけで生きるかぎり、私たちは流転するしかない。それこそ、状況に流されていくほかはない。真偽というもう一つの、仏さまの智慧の視点を習うということが聞法するということに違いないのです。

■本当に人間を真面目たらしめるもの
私たちの日頃の生き方というのは善いか悪いかという考えに立った生き方です。そういう生き方の私たちですから、どうしてもそこに真偽というもう一つの視点を聞きひらかねばならないのです。人間を本当に目覚めさせるものは何か、逆に人間を眠らせるものは何か。生きる意味を問う者にとって、もっとも大切な関心事である「真偽を問い尋(たず)ねる」姿勢、感覚です。
言葉をかえれば、これこそ「求(ぐ)道(どう)心(しん)」と言われる心でしょう。道を求める心はどこまでも真実を尋ねる心です。「真面目」という問題から言えば、この求道心こそ本当の真面目な心、真面目さなのでしょう。求道心ということを抜きにして、人間の真面目さは成り立たない。人間を本当に真面目たらしめるものは、この一点だと教えられます。
求道心に関しては、仏教では「菩(ぼ)提(だい)心(しん)」をはじめ、いろいろ言葉がございますが、身近な言葉で言えば「聞法心」ですね。「ここに立つ以外にない」ことを習う(繰り返し学ぶ)心とも言えましょう。
では、仏法を聞けば私たちの善し悪しという考え方は消えるのかといえば、とんでもありません。そんな話じゃありません。真偽の感覚というのは、むしろ、「そこでしか生きていない私だった」ということをはっきりさせられる仏(ぶつ)智(ち)への帰依に賜っていく感覚なのです。どこまでも自分の善悪のはからいでしか生きていない、だから目先の都合しかわからない。そんな生き方を一瞬一瞬知らされていく。その意味で仏法は、一瞬一瞬、一念一念のことであります。

■仏法に生きることは「闘い」の生活
私は門(もん)徒(と)さんに日頃「お寺参りと言いなさるな」と言っています。「お寺参り」という言葉は好きなのですが、「お寺参り」と言った時に連想されるものを考えると、どうもこの表現には引っ掛かりをおぼえますので、私はあえてそう言っているのです。
そうすると、門徒さんから「それならどう言ったら良いのですか」と問われますので、その時私は「今日は生(しよう)涯(がい)学(がく)習(しゆう)の教室に行ってくると言ってください」と言うのです。みなさん方がこの場に来てくださったということは、生涯学習の教室に来てくださったということなのです。
昨今は高齢化社会で生涯学習ということが大変盛り上がっておりますが、そういった生涯学習の根本になるのがまさに聞法ではないでしょうか。
真宗のお寺というものは他宗のお寺とは違って、蓮(れん)如(によ)上(しよう)人(にん)によって「聞法の道場」という存在意義がはっきりと樹(じゆ)立(りつ)されました。ですから、みなさん方は生涯学習の教室に出てきておられるということを、くれぐれもお忘れにならないでください。そして、この教室に出てくるためには時間を拵(こしら)えていただかなければなりません。そこまでの自覚を、私たち一人ひとりがはっきりと持たなければならないことが要請されています。


池田勇諦先生のご法話を文章化した『親鸞聖人と現代社会を生きる』から抜粋しました。
20230719112346それこそ私の「善悪の分別」で抜粋しましたので、大事なことが抜け落ちているに違いありません。この冊子は、「伝道ブックス75」として東本願寺出版から定価二百七十五円で出版されています。ぜひ、お求めになり熟読してくたさい。
先生のこのお話しの最後に「全国にたくさんのお寺や別院といった形を先人たちが残してくださっているということは、どうか一人でもこの教えに遇って、確かな生き方、歩みをしてほしい。そういった願いの形に違いありません。」とありました。
寺を預かる住職として、この願いを皆さんに伝えていく責任と使命を今感じております。

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