諸根悦予(しょこんえつよ) 姿色清浄(ししきしょうじょう) 光顔巍巍(こうげんぎぎ)
諸根悦予(しょこんえつよ) 姿色清浄(ししきしょうじょう) 光顔巍巍(こうげんぎぎ)
2024.03.14
標題は、親鸞聖人が「真実の教 浄土真宗」とする「大無量寿経」を説く、お釈迦様のお容姿)です。「諸根悦予し姿色清浄にして光顔巍巍とまします。」と読みます。
「諸根」は、眼・耳・鼻・舌・身・意、つまり身体(からだ)中です。「悦予」は悦(よろこ)びにあふれている。「姿色清浄」は、そのことだけに集中し雑念が微(み)塵(じん)も無いお容姿。「光顔巍巍」は、光り輝くお顔が厳(おごそ)かであることです。
イメージできますか?実は、毎日報道される大谷翔平選手に、それを感じたのです。そして同時に、すでに亡くなられた先達の二十年以上前のお話が聞こえてきました。
「病院のベッドに寝たきりでいる老人の部屋に、毎日お昼過ぎになると看護師が用も無いのに来るのだそうです。で、何をしているかというと、老人の足元にうつ伏して寝ている。サボっているんです。そこに、コツコツコツと誰かの近づいてくる足音が聞こえると、その老人が渾身の力で足を動かし、看護師に知らせるのだそうです。『皆さん、その老人を想像してみてください』」と。
世間の見方では、全世界の衆目を集めている大谷選手と病院のベッドに寝たきりの老人では、雲泥の差。ところが仏教の見方では、平等です。今できることに一所懸命になっている。
もう一つの価値観を
知らされたら
生きる世界の風(ふう)光(こう)が
一変した
自我の眼(まなこ)では
見えなかった
諸々の御(ご)因(いん)縁(ねん)が
見えてきた
世界とわたしを
成り立たせている
根っこのいのちが
見えてきた
いかに根っこの
いのちに闇(くら)く
小さな自我意識を
生きる尺度と
していることかが
見えてきた
だが、それは
見え続けていく
ものではなかった
何か事が起こると
すぐ見えなくなる
でも、うれしい
見えなくなるからこそ
聞き直して行けと
背中を押される
なむあみだぶつ
池田勇諦
「もう一つの価値観」とは、仏教の価値観です。ただ一口に「仏教」と言っても、人それぞれで違いがあります。この「仏教」は、鏡のように自分を映しだす「仏さまの言葉(法語)」です。
これに自分を知らされると、じり貧だと思い込んでいた人生が、なんと大谷選手のように輝いているではありませんか!