広島平和公園「悲願の鐘」
広島平和公園「悲願の鐘」
2025.07.16
この鐘の制作者 香取雅彦 氏は、「人間国宝」に認定された鋳金工芸家です。
氏の著作『鋳師(いもじ)の春秋』に、
「この鐘は、平和祈願に燃えた一人の篤信家の熱意で生まれたといってよい。
金沢大学の助教授であった西村見暁という人がある日突然私の家を訪ねて来られ「広島に平和祈願の鐘をつくってほしい」といわれた。(略)
西村さんは、東京オリンピックの年を単なるスポーツだけのものにしたくないと、平和祈願の梵鐘づくりを発願された。大学をやめ広島の原爆落下地点に近い所に居を移し、退職金などの資材を投じて鐘づくりに奔走されたのである。私もその心意気にうたれ、実費で制作をひきうけるという、いろいろな意味で異色の鐘となった。」
と、記されています。
右のリーフレットに「建立 原爆被災者広島悲願結晶の会」とあり、発願者 西村見暁 師の名前は無い。しかしこの一文に、師の世界平和への叫びが響いてきます。
悲願の鐘(通称 平和の鐘)
口径 約一メートル
高さ一・七メートル
重さ一・二〇〇キロ
制作 香 取 雅 彦
建立 原爆被災者広島悲願結晶の会
一九六四年九月二十日、秋彼岸の中日、原爆被災者の悲願を結晶して、広島平和記念公園の一角、かつて被爆者の屍体が、るいるいと積み重ねられたその地点に、悲願の鐘が建立された。
ここに、原爆被災者の悲願とは、死の灰を浴びて、既に、死亡された人々の平和の願いを意味する。
建立の祝いの式の行われたこの日、オリンピックの聖火が、広島に到着した。
原爆をつくり出したことによつて、自らを滅亡の深淵におとし入れた人類は、この滅亡をまぬがれようとして、苦悩をつづけている。
しかし平和は、生存の欲望をもって、招きよせることが出来るのであろうか。
平和の実現は、真理の認識から始まらねばならない。
原爆は、人類が、その全史を通じて、造りつづけてきた罪業の結晶である。
われわれは、自らつくり出した罪の報いをまぬがれようとするのではなくして、既に、その報いを引き受けて、なくなつた人人の現実に、思いをいたさなければならない。
その欲望の只中に、清浄な願いが光つているではないか。
平和は、彼の岸からくる。
生の欲望ではなくて、死の事実から、建てられてくる平和の願い、それが悲願である。 この鐘の正面に刻まれた「悲願」の二字 (前広島市長浜井信三筆)がこの鐘の名 である。
悲願の鐘には、平和の象徴として、全面 に、国境のない世界地図が描かれている。
闘争は、境から始まる。
国と国。人と人。すべて境は、自分の生と、自分の死との、境の反映である。
この境のある限り、平和はない。
この境のとれたところにだけ、平和は実存する。
従つて、この鐘は、「自己を知れ」の一語に、その願を結集した。
西哲ソクラテスを生み出した、このデル フォイの神勅が、ギリシャ語(駐日ギリ シア大使アレクシス・レアティス筆)と 日本教育会長・前広島大学長森戸辰男筆) をもつて記された。
自己を知ることが、平和を現実とする唯 一つの道であることを表わして、赤道と 国際日時標準線の交点に、円形の鏡が磨 き出された。
自らの顔を、この鏡にうつして、後に、この鐘は撞かねばならぬ。
敵は、これを、攻めることによつては亡びず、己を知ることによつて、消える。
鏡の中心が位置する、経度・緯度、共に零度の点。精神のこの地点からこそ、国境のない世界が開くのである。
自己を知ることの極みは、自己が零となること。その時、宇宙が、自己となる。
死ぬべき自己が死んで、死ぬことのない 自己が生れる。
この生命の転換を表現して、この鏡は、 赤道と、国際日付変更線(経度一八〇度) との交点に、原子模様の撞き座を持つ。
ここに撞木が当つて、この鐘の魂が、十 方に響きわたるのである。
社会的存在の原子は、自己であり、その核は、自我心である。
自我心とは、自己が、あくまでも自己であろうとする力、すなわち、生きようとする盲目の意志を意味する。
この意志は、盲目であるから、自分が死ぬものであることを知らない。
にもかゝわらず、ただひたすらに、死ぬことを恐れる。
死なないためには、殺さねばならぬ。
殺されないためには、より強力な武器を必要とする。
こうして、人類は、遂に、原水爆を作り出してしまつた。
たとえ、自滅をまぬがれるために、その禁止を絶呼したとしても、原因を除かずに、結果だけをさけることは出来ない。
原水爆の廃棄は、それを作り付した盲目の意志を克服する他に、方法はないのである。
歴史は、人類の開眼を迫つている。
「すべての国の、すべての人人をして、永遠絶対なる自己に、目覚めしめずにはおかない。この絶対の自己の光こそが、すべての国の、すべての人人を照らし、一切の貪りと、怒りと、怨みとを除いて、地獄の火を滅ばすのである。怒りと、怨みとを除いて、地獄の火を滅ばすのである。」
この『大無量寿経』の一節が、サンスク リット語(駐日インド大使ラルジ・メロ トラ筆)をもつて、鐘口にくまどつて刻 まれた。
人類の歴史を貫通して、叫ばれてきた、この仏陀の誓い。これこそが、被爆者の衷心に輝く、平和の悲願である。
この悲願が、一本の撞木に凝結して、我が盲目の核を打ち砕くとき、死ぬことのない生命の自覚の讃歌が、全宇宙に響きわたるのである。
この魂の自覚の響きは、天体の輝きに呼応する。それは、宇宙生命、そのものの願心である。
この宇宙の心を表現して、この鐘の肩回 りには、日と、月と、南十字星と、北斗 七星とが、夫々、東・西・南・北に位置 し、一連の瑞雲が、これを結んでいる。
かくて、この鐘は、二羽の鳩を配した、 龍頭をもつて、宇宙型の鐘堂につるされる。
宇宙を表現した丸屋根を、四本の柱が支 える。その宇宙の中心に、地球の中心が 重なる位置に。
この中心の一点こそ、本来の自己の座であろう。
しかし、宇宙を支える柱とは、何であろうか。
(1)生成。(2)持続。(3)破壊。(4)消滅。
即ち、万物の流転である。
而して、人間は、これを、生・老・病・死の四苦として、体験するのである。
自己を私有するものにとつて、苦しみの世界であるこの宇宙は、自己を解放したものにとつては、実に、浄土なのである。
鐘堂の周囲には、玉池を作つて、色とり どりの、貴重な蓮が植えられて、浄土を 荘厳する。
(1)黄蓮 米国産。皇太子様からの寄贈。
(2)白蓮 中国廬山の白蓮社の蓮。
(3)紅蓮 二千年前の土中から発掘され、 大賀博士によつて、蘇生した蓮。
(4)紫蓮 インドから贈られた水蓮。