仏法聴聞すると、絶対に救われない 自分が明らかになる。 その自分が知らされて、徹底して安心できるまで聞き抜きなさい。
仏法聴聞すると、絶対に救われない 自分が明らかになる。 その自分が知らされて、徹底して安心できるまで聞き抜きなさい。
2026.01.04
謹 賀 新 年
「一時は、もう死ぬほかないのかと思いました。さまざまな信仰をめぐった。永平寺の滝とか一乗の滝、ずいぶん滝にも入った。稲荷信仰から九頭竜王とか加持祈祷もしてもらった。みんな犯した罪を逃れたい、罪の災いから逃れたいの思いだった。
なんとかして罪を免れたいの心に、多くの宗教は、全部逃れさせてあげましょうと空約束をしてくれましたが、何の効能もない。ずいぶんなけなしの金も使わされましたよ。
そのころ母から「うちは浄土真宗やさけ、真宗の話しを聞いたらどうや」と言われ、母が聞いていた石河勝友先生に聞いたのが、私の真宗との出会でした。初対面の石河先生から「仏法聴聞すると、絶対に救われない自分が明らかになる。その自分が知らされて、徹底して安心できるまで聞き抜きなさい」と、ズバリ言われた。
これまで私は、逃げたい、救われたい、ばっかりでした。ところが真宗では、「お前の罪は逃げられんぞ」という。逆です。そこでハッと気づいたんです。この道を突き進めばなんとかなるな、と。罪を引き受けるということやね。これまでは引き受けたくないの一点張りでした。
免れることを請けあう信仰から、逃げずに引き受ける信心の道へ、やっと出た。」
これは、太平洋戦争でフィリピンに赴き、憲兵として現地人や日本人を虐待し命を奪った罪障感に苛まれ、浄土真宗に出遇い救われた杦政之氏の語ったことです。
『同朋新聞』(1989年2月号)「ここ人あり」から抜粋しました。
「もう死ぬしかない。」と思った杦政之氏の活路を開いたのが、標題の石河勝友師(本願寺派寺院住職)の言葉でした。
仏法聴聞の一年が始まりました。とことん聞き抜きましょう。

























