念仏
念仏
2015.09.09
【法語】 凡小(ぼんしょう)修(しゅ)し易(やす)き真教、
愚鈍(ぐどん)往(ゆ)き易(やす)き捷径(せっけい)なり。
念仏は、私たちが生きる真の教えであり、誰にもできる生活実践であるという意味です。 親鸞聖人の主著『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の序文にあります。
東本願寺出版部発行の『解読教行信証』には、念仏は「凡夫(ぼんぶ)が修(しゅ)し易(やす)い真の教えであり、愚鈍(ぐどん)なものが往(ゆ)きやすい近道である」と訳されています。
ところで「私は凡夫ですが・・・」と謙遜して言うことがありますね。この場合の「凡夫」は、凡人、ふつうの人という意味です。
親鸞聖人は「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」者のことだと説明されています。
凡夫は、なんでも思いどおりになるはずと思い込んでいる欲張りで、その欲が満たされないから、怒り腹を立て嫉み妬んでばかりいて、生涯ずっとそれは止まらず消えず絶えることはないと。
「愚鈍」は、自分が凡夫だと知らない愚かで鈍感な者ということです。
愚鈍な凡夫のための真の教えが、念仏です。その生活実践が念仏申す生活です。