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住職のことば

住職のことば

報恩講

報恩講

2015.11.15

他(た)力(りき)の信(しん)心(じん)うるひとを
うやまいおおきによろこべば
すなわちわが親(しん)友(ぬ)とぞ
教(きよう)主(しゆ)世(せ)尊(そん)はほめたまう
この和讃は、『正像末(しょうぞうまつ)和讃』一一四首のうちの一首です。
当寺の報恩講では、「正信偈(しょうしんげ)」に続けて和讃を六首をお勤めしますが、その五首目です。
「念仏の信心を得た人は、仏法を篤(あつ)く敬いそれに遇(あ)えたことを慶(よろこ)んでいるので、教主であるお釈迦様は、その人を私の親友であるとお誉(ほ)めくださる」という意味です。
80歳を過ぎた親鸞聖人が、本(ほん)願(がん)念仏の信心に歩んできた人生を慶び、こう詠(よ)んだのです。
「わが親友とぞ 教主世尊はほめたまう」とあります。これは『仏(ぶつ)説(せつ)無(む)量(りよう)寿(じゆ)経(きよう)』の「法を聞きて能(よ)く忘れず、見て敬い得て大(おおい)に慶べば、すなわち我が善(よ)き親友なり」との教えを親鸞聖人がいただいた言葉です。
『仏説無量寿経』では、「たとい世界に満てらん火をも、必ず過ぎて要(もと)めて法を聞かば、会(かな)らず当(まさ)に仏道を成(じよう)すべし、広く生死(しようじ)の流れを度(ど)せん。」と続きます。
「世界に満てらん火をも」は、思いどおりにならない現実が次から次へと起こってくる私たちの生活のことです。燃えさかる火のように怒(いか)りがこみ上げてくるその生活が、「私」にとってはまるで世界中に火が満ちているようだということです。その現実から逃げずにそれを引き受けて仏法(本願念仏)に出遇(であ)えたなら、お釈迦様と同じ覚(さと)りを成(な)し、煩(ぼん)悩(のう)に翻(ほん)弄(ろう)されることはありませんという意味です。
仏教は、奇(き)跡(せき)を起こす教えではありません
仏教は、教えを学び自己満足に浸(ひた)る教えではありません。
仏教は、人格を高める教えではありません。
仏教は、願い事を叶(かな)える教えではありません。
仏教は、厄(やく)除(よけ)けをする教えではありません。
仏教は、心の病を治す教えではありません。
仏教は、社会問題を解決する教えではありません。
(「救済の七ヶ条」出雲路暢良師参照)
仏教は、思いどおりにならない現実を生きる、覚悟と勇気をいただく教えです。
その仏教、浄土真宗を開(かい)顕(けん)された親鸞聖人に報(ほう)恩(おん)感(かん)謝(しや)するご門徒の集いが、報恩講です。

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