明けまして おめでとうございます。
明けまして おめでとうございます。
2016.01.02
謹賀新年
本年も、念仏申す生活を、共に歩みましょう。
寺族一同
題字下の言葉「細々(さいさい)に信心のみぞ(溝)をさら(浚)えて、 弥陀の法水(ほつしい)を 流せ。」は、報恩講の終わった翌日に朝のお勤めで拝読する『御文』にあります。
「細々」は、「再々」のことだと思います。
蓮如上人は、「たびたび聞法して信心の溝を浚う念仏申す生活をしなさい」と私たちに仰っているのです。
「邪見憍慢悪衆生」と『正信偈』(赤本13頁)にあります。
「邪見」は、自分本位に物事を見ること。「憍(驕)慢」は、傲(おご)り高ぶること。「悪衆生」は、私たちのことです。
仏様の視点で見ると、私たちは皆、自分本位の考えで驕(おご)りたかぶって生きている。だから悪衆生なのだと、親鸞聖人は仰っているのです。
この私たちの体質は、どう頑張っても治りません。
聞法、すなわち仏様の眼(まなこ)で自分を見るとは、邪見憍(驕)慢悪衆生である私が、阿弥陀様に救われていたと喜ぶことです。
真宗門徒の日暮は、たびたび聞法して「弥陀の法水」を流し、「邪見憍慢」の自分に帰るのです。